アレンテージョの平原の彼方に夕陽が沈んでいく。
やがて、沈黙の音色が……。
ポルトガルを旅している間、一冊の本を読んでいた。アントニオ・タブッキの『レクイエム』である。真夏のリスボンを彷徨う旅人の1日を描いた物語。ポルトガルが生んだ詩人、フェルナンド・ペソアへの文字通り鎮魂曲でもある。この本をしのばせてきたのは、同じタブッキの作品『インド夜想曲』と同様、「彷徨い感」をおおいに刺激してくれるのではと期待したから、さらには、リスボンの描写が詳しいことから、ガイドブック代わりにも使えるのではと考えたからだ。
念願のモンサラーシュにたどり着き、時間と心に余裕ができたこの日、『レクイエム』のページをめくってみた。読んでいくうちに驚いたのは、猛暑のリスボンが舞台であるにもかかわらず、アレンテージョ地方の話がしばしば、というより異常なくらい多く登場することだ。
「そういえば、今日はアレンテージョ出身のひとにずいぶん大勢会いましたよ、わたしは言った。いま思うと、一日じゅうほとんどアレンテージョのひとにしか会わなかったな。」(『レクイエム』アントニオ・タブッキ、鈴木昭裕訳、白水Uブックス)
と、主人公にそんな科白を吐かせているくらいに。
人だけではなく、これはタブッキの小説に共通する特徴だが、料理の記述がじつに多い。ミーガス、アソルダ、サルガリェータ、ボルバ風エンソパード・デ・ボレギーニョ、アレンテージョ風スープ……。アレンテージョ地方の料理が随所に、ときにはレシピまでもが登場する。
アレンテージョに関する知識が思いがけず身についた、モンサラーシュで読んでおいてよかった。そう思いながら、すっかり暗くなった石畳を歩いて、一軒のレストランへ。この物語に出てくる一品でも味わえるといいのだが。
まずはワインを。
『レクイエム』の中で、いちばん「へぇー」と思ったのは、今いるモンサラーシュを訪れる途中でバスを乗り換えた町、「レゲンゴス・デ・モンサラース」の名が登場したときだ。
「サラブーリョには美味しい赤が欠かせませんが、そちらのお友達が好きなどうか、酒蔵に入れたばかりのレゲンゴスがございまして、こちらをぜひともお勧めします」
「口がもっと滑らかになるように、このレゲンゴス・デ・モンサラースを一杯おやんなさい。」
巻末の注記を読むと、「レゲンゴス・デ・モンサラースは、バイショ・アレンテージョ地方の同名地域でつくられる、有名な赤ワイン」とある。
こんな説明を読んでしまったら、これはもう、モンサラーシュ産の赤をいただくしかない。
次にスープ。3月の終わり。丘の上の夜は思ったより冷え込んでいる。
ビーニョとこのスープで暖まらないと。
メインは、Ensopada de Borrego。スープにラムとパンとじゃがいもを浸した素朴な郷土料理。『レクイエム』には「ボルバ風エンソパード・デ・ボレギーニョ」として登場するけど、たぶんほとんど同種の料理だと思う。
「今日のシェフは一品しかつくっておりませんですのでね。しかし、ボルバ風エンソパード・デ・ボレギーニョは素晴らしい料理ですよ。」
物語の後半、リスボンのアレンテージョ会館のボーイ長が、主人公にそう勧めるのが、それだ。ぼくが食べたこの料理は、素晴らしいとまでは言えなかったけど、素朴な田舎料理の醍醐味は堪能できた。
ちなみに、アレンテージョ会館というのは現在もリスボンに存在する。館内ではレストランも営業しているのだが、そのアレンテージョ会館で料理を食べるのをうっかり忘れて帰国してしまったことが、今になっても悔やまれる。すぐ近くのホテルに宿泊し、何度も目の前を通ったというのに。『レクイエム』をガイドブック代わりにしたからには、ここで食べなきゃどうするよって感じなのだけど。リスボン再訪の際は、忘れずに足を運ばなくてはと思っている。
2007年4月11日
>野良さん
不意の雨と孤独に狂わされる・・・なんとなくわかる気がします。
きっと初冬に訪れたらそんな感覚に襲われるのだろうなあと、
『一号線を北上せよ』の雨の場面を彼の地で想起しました。
ナザレはぜひ訪れてみたいです。がっかりするよという声も聞きますが、
やはりあの町の雰囲気の中に一度身を置いてみたいです。
行くならシーズンオフなんでしょうねぇ。
2007年4月10日
初冬のポルトガルの旅では確かに『一号線を北上せよ』にも似た場面に遭遇しました。ふいの雨と孤独が旅の予定を狂わすだけでなく、普段の感覚をも狂わせます。シントラに赴いたときは、駅に着いたとたんに大雨で、ホームから頂の宮殿を見上げただでリスボンにとんぼ返りでした。でも、彼の地にたどり着きながら、彼の地の別の顔を想うことも、実際の旅がもたらす贅沢なのでしょう。
ポルトには行きませんが、ナザレには行きました。「日常」を取り戻した冬の海岸には焼き栗の素朴な甘さがよく似合っていました。
2007年4月10日
>soraさん
あ、読み終えましたか。
ぼくはこの本を読んでからポルトガルに行きました。
本当は持っていきたかったのですが、かさばる単行本だから
あきらめたのです。
リスボンのサンジョルジェ城で黒猫に出会う話が載っていますが、
同じような黒猫を同じ場所で見たときには、我ながら単純だなと
思いつつおおいに感動しました。
>HARUさん
ぼくにとってはポルトガルも西の果ての見知らぬ彼の地だったので、
おおいに楽しめましたよ。
次の旅先も未知の国ですが、今度はヨーロッパじゃなくて中東です。
また違った楽しみと出会いが待っていそうです。
2007年4月10日
ただただ美しい風景ですね。
僕は今まで、未知の国へ行きたいという思いばかりで旅をしてきました。
でもこの写真を見ると、ポルトガルのような国で、落ち着いた時間を過ごすのもいいのかな、と思います。
きっと、未知の国への貧乏旅行とはまた違った想いができるんでしょうね。
2007年4月9日
こんばんは。
私も「一号線を北上せよ」を思い出しました。
先週、読み終えて、感想文と地図を描いているところです。
「鬼火」ですよね。檀一雄氏の足跡を追った異色の紀行文。
淡々とした中にも、沢木氏の中にうごめく、「何か」が印象的でした。
2007年4月8日
>ヒョウちゃん
ポルコとアメイジョアのアレンテージョ風は、エボラで食べました。
そのうち写真をアップします。
レゲンゴスは、連れがいればもう少し高級なのを頼めたのですけどねぇ。
まあでもこのティントもおいしかったです。
写真のスープは定番ですが、アレンテージョ風スープもちゃんと
飲んだので、その写真も掲載します。
>Ginaさん
知は愛なり、そのとおりですね。
その土地のことを知った上でその土地のものを食べると楽しさも増します。
といっても一度行っただけなので、さらに深く
味わうためにも、また訪れたいと思います。
>野良さん
そうでしたか。昨年訪れたのですね。
初冬のポルトガルといえば、『一号線を北上せよ』を思い出します。
雨のリスボン、ポルト・・・旅情というより寂寥感がつのりそうですね。
ぼくはタブッキの『レクイエム』と『供述によるとペレイラは……』を
読んで、次に訪れるなら真夏がいいなあと思ってます。
その折りには、ナザレとポルトも訪れてみたいです。野良さんは行かれましたか?
2007年4月7日
昨年の11月の終わりにモンサラーシュを訪れたときはあまりの寂しさに途方にくれてしましました。どの宿にも人気が感じられないのはもちろんのこと、誰も歩いていなし、おまけに寒い。村の静謐さに打たれるまえに心身ともに凍えそうになりました。そのとき、旅は季節を選びたいと思いました。
今回のエントリーを読んで、本当に「文学」的なものから遠ざかっていたんだなあと思いました。かつて読もうと思っていたペソアがポルトガルの詩人であることすら忘れ、昨年はポルトガルを旅行していました。今、かかえている昔の宿題が終わったら、『ポルトガルの海』から読みはじめたいと思いました。
2007年4月7日
おいしそー!ヨーロッパの田舎料理といった趣で。
ただそれだけでなくて、あづま川さんのように
バックグラウンドをもって、料理に対すると、理解と
おいしさもより増しますよね。
knowing is loving だと思ってますから。
2007年4月6日
おお、さすがに下調べして行ってますね。
わたしゃ、アサリと豚肉炒めのポルコ・アレンテジャーナだったかな、これまたアレンテージョ地方の料理…くらいしか食べなかったような。
美味しかったですが。
にしても、ヴィーニョ・ティント、フルボトル行きましたか。
ご相伴したかったなあ。
ポルトガルはスープとパンが美味しいので、朝食くらいだったら、画像のスープと、オリーブくらいあれば、パンをいくらでも食べられますね。このスープは、ポルトガルの定番です。わたしも某所(笑)でいただいてきました。
メインの料理は、歩き方にも記述がありました。ガイドブックよく読めばよかったです。