Aden, Yemen / RICOH GR21
アデンを訪れようと思った理由は、次の四つ。
ひとつは、放浪の詩人アルチュール・ランボーが詩の放擲後に拠点としていた商館に泊まって
みたかったこと。ひとつは、かつては自由貿易港であり、その後1990年までアラブ初の社会
主義国家、南イエメンの首都であったという激動の歴史を持つ町であること。ひとつは、
「とにかく暑い」というその灼熱が実際どの程度なのか、この肌で味わってみたかったこと。
最後のひとつは、アラビア海を眺めてみたかったこと。
そして、アデンへ。
アデンから海を眺めているときには、「海のシルクロード」の存在は明確には意識していな
かった。水平線へと延びる航路の彼方にあるインド亜大陸のことも。その翌年、マレー半島を
北上し、マラッカに沈む夕陽を眺め、そのまた翌年(つまり今年)、南インドを南下し、アラビア
海に沈む夕陽を眺めて初めて、自分は海のシルクロードの中継地を続けて訪れているのだ、
と気づき、びっくりするとともに、なるほど、と合点がいった。なるほど、このところの自分は、
こんな場所に興味と関心を抱いていたのか、と。そういうことって、しばしばある。旅が終わった
後に自分の関心領域が浮かび上がってくることって。
イエメンと南インドとマレー半島の旅。シルクロードで結ばれたこの三つの旅を複雑に
絡ませ、また詩人ランボーと金子光晴、さらに「インド夜想曲」の舞台を交互に登場
させながら、重層的かつ深遠な旅行記を書いていきたい、できれば書きたい、書ければ
いいなあ……。書けないので年末はラオスに逃亡。
ここで地理のお勉強。下図の「A」がイエメンのアデン。進路を東に取り、アラビア海を渡ると、
インド西海岸に。さらにインド東海岸からは、マレー半島へと海のシルクロードが延びている。
こうした視点と関心から地図を見ると、どうしてもインド東海岸とスリランカは訪れたくなる。
2009年12月20日
>soraさん
こちらこそご無沙汰していてすみません。
もう「天涯」の季節ですね。本当に時の流れは早すぎます。
今年も録音して、旅の空で聞こうかな、と。
K-x、あーあの色がいっぱいあるやつ。 この間真っ白なK-xを
ぶら下げて歩いている女性がいて、惚れそうになりました。
カメラにも、女性にも(笑
ぼくはレンズが欲しいです。21mmが・・・。
2009年12月18日
とってもご無沙汰ですねー。
この季節になると、あづさんを思い出します(笑)。
天涯の季節ですなー。サイトもオープンされましたね。
去年は聴き逃したので、今年は・・と思ってますが。
あ。K-7、イイカンジっすね。僕はなんとか踏みとどまりましたが、物欲に負けて、この間、K-x、いってしまいました・・。カワイイっすよ。K-xは。
2009年12月13日
>ジーエルさん
イミグレです。閑散としていました。かつてはいろんな国からの
船がここに寄港しましたが、今は・・・。ここから入国したと
いう旅行者の話も聞いたことがないですしねぇ。ジプチとか、
限られた国への航路しかないのかもしれません。
写真は、ランボーハウスの宿泊記とからめて、という感じで
公開する予定です。ただしいつになるかはわからないので
気長~にお待ちください(笑
2009年12月11日
イミグレですか。「今度はここから入国(出国)」なんて思ったかもしれませんね?
ところで、アデンのクレーター地区の写真、公開するご予定は? どんな感じになっているか、とても興味があります。
2009年12月10日
>ジーエルさん
そのクレーター地区に泊まりましたが、他の町よりもきれいな
くらいでしたよ。ここ十年間で変わったのかもしれません。
写真は、タワーヒー地区のイミグレーションです。
鴎外や漱石もここから上陸したのかも、なんて想像を
かきたてられるたたずまいでした。
2009年12月8日
アデン、懐かしいです。
クレーター地区はどうでした?
僕が行ったころ(もう13年くらい前)は、ゴミだらけでお世辞にもきれいとは言えない街でしたが。
でも海沿いには開店間近のピザハットがあったり、その後、綺麗になったのかもしれませんね。
ところで、写真の建物、何の建物ですか? バスターミナルですか? にしては人がいないですし。。。
2009年12月7日
>ナオさん
「アデン、アラビア」って響きはじつにいいですね。
この呪文を唱えるたび、あのすさまじい熱気と青い海に
包まれたような気になります。
最近悪いニュースばかりなのが残念ですが、旅の
チャンスはまたやってくると思うので、そのときにぜひ。
2009年12月6日
アデンアラビアって響きが何かのまじないみたいですよね。
海のシルクロードってのもエキゾチックで素敵。
いいなあ行きたいなあイエメン。