Katmandu / PENTAX K-7, DA21mm
12年という短くはない歳月の間に、目に見える変化は見受けられるのだろうか、はたまた、これといった大きな変化は見られないのだろうか。「変わったもの」と「変わらぬもの」。それらを探しながら、合わせ鏡として、自分自身の12年も振り返る。ネパール行きを目前に、旅のイメージをそんな風に漠然と思い描いていた。
政治には興味がないので、前回ネパールを訪れた後、20世紀末から起こった政治的な激動(マオイストの武力闘争、国王暗殺、王制復活、第二次民主化運動、王制廃止)についてはおぼろげにしか知らず、「変わったもの」を探すといってもそのような体制的な変化を感じ取ろうという意識はまったくなかった。そうした政変はどうやら収束して和平が訪れたようなので、そろそろ再訪してみようか。その程度の認識だった。ぼくが思っていたのは、もっぱら、旅行者が行き交うタメルのにぎわいや、色とりどりの果物や野菜であふれるアサンのざわめきや、シバ寺院から見下ろすダルバール広場の夕暮れや、朝霧に包まれたバクタプルの赤茶色の路地が、今も変わらぬままなのか、といったことだった。
そうした心持ちで彼の地に降り立ったのだから、マオイストによるバンダ(ゼネスト)は青天の霹靂といっても過言ではなかった。赤旗を掲げ、主要道路を占拠し、行進する彼らと、遠巻きに取り囲む武装警官。その光景を間近に目にしたときはショックだったし、まだこんなことやってたのかと驚きもした。変わったもの、変わらないものを見つける旅で目にした最大の「変わったもの」は、だからこのマオイストたちであると言えるだろう。
そのバンダ、ぼくがネパール入りした日に始まり、帰国する日に何事もなかったかのように解除になった。ネパール滞在期間とぴったり重なったバンダは、現状認識の薄かったぼくに、この国が抱える根深い課題に目を向けさせるきっかけにはなったけれど、ここまで符合してしまうと何と言っていいのやらで、やるせなさがいまだに尾を引いている。そんなわけで、マオイストにまつわる「変わったもの」についてこれ以上ここで触れるのはやめておく。今触れても胸くそが悪くなるだけだから。
そういう旅行者としての個人的な感情論を脇に置いたとしても、マオイストによるパンダは実際、多くのネパール人、ひいてはネパールという国に大きな経済的損失を与えている。マオイストが何を唱え、何を目指しているかはよく知らないし、知りたいとも思わないけれど、ストをするなら彼らだけでやればいい。道路を封鎖して人と物資の輸送を妨げたり、ストに従わない商店やレストランに報復したりなんていう行為は許されるものではない。
バンダに逆らって営業したために投石されたレストラン。
ということで、次回からは、路地裏や子供たちなど、カトマンズとその郊外を歩くことで出会った「変わらないもの」の写真を中心に掲載していく。南インド、南ラオス、マレーシア、イエメン等の記事をはさみながら。写真のストックはどんどん膨らんでいるのだけど、スキャンや編集の時間が取れないので、例によって小出し作戦で。
2010年5月26日
>dadadaさん
トランジットで寄ったバンコクも騒乱中だったし、
なんだかなーという感じでした。
そちらはキューバか・・・いいなあ。
2010年5月26日
タイも似たようなもんか・・・と思ったり。
しかし、大変な旅でしたねうーむ。
2010年5月25日
>ジーエルさん
同じ時期に訪れていたのですね。
そのときにぼくもチベットに行っておけばと悔やんでます。
タメルの写真も今度アップしますが、かなり変貌していて
驚きました。そろそろジーエルさんもいかがですか?
2010年5月25日
>vinvivaさん
マオイストっていうのは毛沢東主義者のことで、共産主義者なんですが、
やってることはメチャクチャです。
次回からは路地裏写真がメインです。
2010年5月25日
よく考えたら僕も12年前、カトマンズを訪れていました。
目的は陸路チベットへ入ることだったので、ほんの2~3日滞在しただけですが。
タメルの安宿の、妙に調子のよい、胡散臭い主人のことが、印象に残っています。
2010年5月24日
>政治は、国民が豊かに幸せに暮らせる事を目的に行って欲しい。そもそも、みんな同じ何だから。
誰かが、偉くて、誰かが偉くないなんてナンセンス。
路地裏の写真楽しみにしてます!