BLOG

ゴアでホーリー(1)

暦の上では立春が過ぎて10日あまりたったというのに、東京ではどんよりした底冷えの厳しい日が続いている。夜明け前がいちばん暗いように、冬の終わりがいちばん寒いとするなら、この冷雨と寒さは春の訪れの兆しなのかもしれない。あと少しの辛抱と言い聞かせ、南インドで買ったマサラ入りのチャイで身体を温めている。

中国では先週末から春節(旧正月)が始まり、新しい春を盛大に祝っているが、インドにも、春の訪れを祝うお祭りがある。一般にホーリーと呼ばれている。ヒンズーのお祭りである。日本では節分に豆をまくけれど、ホーリーでは目にも鮮やかな色水、色粉をぶっかけ合う。このときばかりはカーストのしばりから解放されて無礼講となるので、たまっていたうっぷん晴らしも手伝って、地域によって、特に北インドではきわめて興奮度、熱狂度の高いお祭りになる。とりわけ、旅行者が多く集まるバラナシなどでは外国人が格好のターゲットにされ、身に危険が及ぶことさえあるらしい。

knsg_100214f.jpg
市場で売っている鮮やかな色粉

ホーリーの日は年によって違う。昨年は、3月11日がホーリーだった。ちょうどその直前、ぼくはゴアに滞在していた。そして迷っていた。このままゴアでホーリーを迎えようか、あるいはもっと南の静かな場所に逃避しようかと。南インドのホーリーは北よりもずっと控えめだと聞いてはいたのだが、バラナシ同様、ゴアも旅行者の多い場所であるのが心配の種だった。一方、インド最大のお祭りに巡り会うなんてまたとないチャンスであり、見逃すのはあまりにも惜しいとも考えていた。また、ホーリーにあわせてゴアのビーチでは大がかりなレイブも開かれるかもしれない。期待が心配に勝って、結局、ホーリーの日までゴアに滞在することに決めた。

念のため、ホーリーの前日、滞在していた宿をきりもりしている、親切で愛嬌のある女性に聞いてみることにした。明日ってホーリーだよね? 「そう、ホーリーよ。あちこちで色粉かけられるわよ~。気をつけなさい。危ないから、カメラと財布は部屋に置いていくようにね」。ぴしゃりと注意されてしまった、うーむ。せっかくの彼女のアドバイスだけど、見るだけじゃなく、絶対に写真を撮りたい。が、顔だけならともかく、カメラが色粉・色水まみれになったら悲劇だ……。まあでも、カメラ4台体制で旅しているのもこんなときのためなのだし、1台ダメになっても、いい写真が撮れれば本望だ。カメラを持って突撃する覚悟を決めたのであった。

knsg_100214d.jpg
この程度の色粉なら可愛いのだけど

そしてホーリー当日、朝食を済ませると、MZ-3とGX100をバッグにしのばせて、色粉だらけになっても大丈夫な格好でアンジュナビーチへと出撃。おそるおそるビーチに着くと、いきなり現地の男子数人に囲まれる。こればやばい。と思った瞬間、男の子のひとりが進み出てこう言った。
「ドネーションをいくらかちょうだい。そうしたらこれを顔につけてあげるから」
と、色粉がついた指をぼくに向かって差し出した。

てっきり容赦なく色粉をぶつけられると覚悟していたので、その言葉は意外だった。しかしドネーションって一体なんなのだろう。寄付という名目での単なるお小遣い稼ぎのような気もするけど。まあ、ホーリーなのだから細かい詮索はなしにしよう。いくらかのドネーションをあげて、額にちょっとだけ色粉をつけてもらう。

knsg_100214a.jpg
PENTAX MZ-3, FA43mm Limited, FUJI RVP100

最前線は突破した。それほど激しいホーリーじゃなさそうだ。とはいえ、油断は禁物。戦場ではその一瞬の気のゆるみが命取りになるのである。
敵陣深く、ビーチの中心へと進んでいくにつれ、顔中サイケな色粉なだらけの犠牲者を多数目撃。とはいっても、やられたというより、喜んでいるような、あっけらかんとした表情。欧米人ってこの手のお祭りが大好きだから、集中砲火を浴びてもまったくひるまない。タフだ、奴らは。

knsg_100214b.jpg

そんな陽気な欧米人を何人も眺めているうちに、いつの間にかぼくも無防備状態になっていた。ビーチを外れた小道を歩いていると、突然、後ろから何者かの手がぼくの顔に。むがっ。テレビ番組で、突然パイを顔になすりつけられるシーンがあるけれど、まさにあんな衝撃。やられた~、無念。

鏡がないので顔の状態はわからないけれど、色粉だらけにちがいない。肩から腕にかけても、赤や青のサイケ調に。え! ってことは、もしかして……!? 手に持っていたカメラにおそるおそる目をやると、あー、ぼくのペンタちゃんが~~。

knsg_100214c.jpg

なんと、色粉がMZ-3に降りかかっているではないか。いや、でもこのサイケ色ペンタもなかなかいいではないか。それにカメラに傷の二つや三つあってこそ、本物の戦場カメラマンというものだ。なんてうそぶいていたのも一瞬だけで、もちろん急いで拭き取ったのであった。ホーリーの前は、1台ダメになっても、なんて威勢のいいことを言っていたけど、長年の相棒がこうなってしまうとあわててしまう。幸いカメラの動作に影響はなさそうだが、とりあえず一時退却。体制を整え直して再突撃を狙う。

『インド夜想曲』の舞台を追って(3) マリーンドライブ

「ボンベイに来る観光客は、どうかするとあまりお薦めできない場所に行ってしまいます。
お客さんみたいな紳士にもっとふさわしいホテルにお連れしますよ」
          『インド夜想曲』 アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳 白水Uブックス

初めてインドを訪れたのは、かれこれ12年も前のことになる。そのときの第一印象は、以前に書いたことがあるけれど(インドの旅)、最低最悪だった。

バンコクのカオサンで一泊し、ネパールのカトマンズへ。さらにヒンズー教の聖地バラナシへと飛んだ。アジア旅のデビュー戦であり、もちろん初インドだった。精神的にも肉体的にも何の免疫もできていないまま、「あのインド」に降り立ったのだから、デビューの結果は目に見えていた。早くも肉体は旅の通過儀礼、つまり激しい下痢と高熱のさなかにあった。すでにヘロヘロ状態のところへ、容赦なく精神的なパンチがやってきた。

バラナシの空港から乗り込んだタクシーの運ちゃんはやたらとしゃべりまくって、熱と下痢から来る目まいを増幅させてくれた。あげくの果てに、「もっといい宿がある」などと目指す宿とはまったく違う、高そうなホテルに連れていかれた。こんなところには泊まらない、目的の宿まで行けと言うと態度が豹変し「いやならここで降りろ」と強制的に降ろされた。小額紙幣を持ち合わせていなかったのもあちらにとっては思うつぼで、当然お釣りなど返してもらえず。仕方なしに見知らぬ通りに出ると、これまで見たこともない人、自転車、バイクの洪水にさらされた。ますます激しくなる目まい。ユルユルのお腹を押さえながら、何とかリキシャを捕まえ、必死に料金交渉して、ようやくガンジス川沿いの、知人が滞在しているゲストハウスにたどり着いた。倒れるように横になったベッドの上でうなされながら、「これがインドか」と、覚悟を決めたのだった。
 

「どうしてわれわれはマリーン・ドライブを走っているのか、と僕は運転手にたずねた。
ボンベイは初めてだったが、膝のうえに広げた地図を見ながら、僕はタクシーの進路を
ずっと辿っていた。」

『インド夜想曲』は、ムンバイ(旧称ボンベイ)のホテルに向かおうとしている主人公が、マリーンドライブという海岸通りに出たところで乗っているタクシーがあらぬ方向を走っていることに気がつき、途中で無理やり止めて降りるシーンから始まる。この冒頭の文章を初めて読んだとき、あのインド旅の、熱にうなされながらの運転手とのやりとりや、おぼろげに視界を横切っていった混沌の光景が目の前に映し出されてきて、小説の世界に一気に引きずり込まれた。

それから何年もたった昨年、南インドの旅に出て、ムンバイの空港に降り立った。深夜、タクシーに乗り込み、おしゃべりな運転手と会話を交わしながらも、小説の主人公と同じように、目はガイドブックの地図をチラチラと追っていた。突然、視界が開け、弧を描きながらどこまでも延びる海岸線が右手に飛び込んできた。どうやらここがマリーンドライブらしいと知ったとき、不安が込みあげてきた。まったく違う宿に連れて行かれるのではないだろうか……。時計は真夜中の1時過ぎを指していた。バラナシのときのように、じゃあここまでだと降ろされたらなすすべもないし、小説の主人公のように、それならここで降りてやる、と啖呵を切る勇気も、この闇の中では出そうになかった。

だが、不安は杞憂に終わり、タクシーは無事目当てのホテルの前で止まってくれた。空港での前払い制だったが、それ以上の料金を要求してくることもなかった。まずは、一安心。バラナシでの悪夢がようやく消え去ったような気になった。

翌日、ヴィクトリア駅を訪れた際にゴア行きのバスのチケットを手に入れ、続いていくつかの場所を訪れた後の夕暮れ時、マリーンドライブを歩いてみることにした。小説の冒頭で描かれているのもマリーンドライブの夕景だからだ。

knsg_100207c.jpg

「われわれがその街に着いたころ、薄暮がちょうどあたりを包みはじめ、
一本の道を通り抜けるあいだに ―熱帯ではいつもそうだが― いきなり夜になった」

knsg_100207d.jpg

夜が迫り、ゴア行きのバスの出発時間も迫ってきた。預けておいたバッグを受け取りに宿に戻る。チェックアウトはすませていたにもかかわらず、「汗をかいたでしょう。シャワーを浴びてから出発したらどうですか」と、シャワー室に案内してくれ、親切にタオルまで用意してくれた。気持ちよくホテルを後にすることができた。

南インドの旅を決めたときにはムンバイという街にさほどの興味も関心もなかったが、小説の舞台を巡る、というテーマが浮かんできたおかげで、思いのほか濃密な1日を過ごせた。明日はゴア。『インド夜想曲』の最終章の場所。そこでもいくつかの舞台を追いかけるつもりでいた。

先頭に戻る
コピーはできません。