名残を惜しみつつゴアを発ち、アラビア海岸からいったん離れ、内陸部へ入りました。
現在、古都ハンピにいます。
15世紀を中心に繁栄を極めたヴィジャヤナガル王国の都が置かれた地です。
静かな村の中心にそびえるヒンズー寺院。川沿いに連なるやしの木やバナナ園、ライステラス。穏やかな空気に包まれた村ですが、この地をひときわユニークにしているのは、村を取り囲む巨石群。あたり一面、10メートル四方の巨大な岩がごろごろしています。その無数の巨石群に隠れるように、ヴィジャヤナガル王国時代の壮大な遺跡が散在しています。
巨石群の間を縫いながら、これらの遺跡を徒歩や自転車で巡っているのですが、その道沿いの荒涼とした景観は時が止まったかのようで、ちょっとした探検家の気分に浸れます。これまで見たことのない壮観です。
壮観だけではなく、村の人々のやさしさや表情にも惹かれます。遺跡だけではなく人の写真もたくさん撮りました。帰国日を先延ばしして訪れた甲斐がありました。
ところでゴアのホーリーですが、顔が色粉で赤青緑だらけになりながらも写真をちゃんと撮りました。カメラにも砂や色粉かけられましたが、今のところ動いてます。思ってたほどキケンじゃなく、他の旅行者も半ば喜んで被害にあってました。サイケに染まった身体とTシャツはゴアのビーチによく似合い、この地でホーリーを体験できてラッキーでした。
次の目的地はマイソール。マハラジャパレスを見てから、いよいよケララに入ります。
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南インド通信(2)
ゴアのアンジュナビーチに滞在しています。
甘くてゆるい空気。強烈な日中の陽光、そしてオレンジ色の夕陽が、このビーチを発つ気力を徐々に奪っていきます。そして昨日、エアインディアのオフィスに出向き、帰国日を変更(先延ばし)してしまいました。変更不可のチケットなら潔くあきらめたものを・・・格安チケットのくせに妙に融通が利くものだからつい。罪なエアインディア。さて、仕事はどうしましょう。
一昨日と昨日は、ポルトガルの面影が色濃く残るパナジとオールドゴアを散策してきました。「南インド通信1」で、ゴアに来た目的は「ビーチでとろける」以外にもあると書きましたが、そのひとつがこれです。マカオ、マラッカに続く、「アジアの中のポルトガルを追いかける」シリーズ第三弾というわけです(今思いついてシリーズ化)。
パナジの古い地区に一歩足を踏み入れれば、青、赤、緑のカラフルな家並みや白壁のまばゆい教会に出会ったり、路地の一角にあるポルトガル&ゴア料理のお店に入れば、ファドが流れていたり、フランシスコ・ザビエルが眠る教会を訪れれば、ミサが始まり、大勢の礼拝者がいっせいに起立して賛美歌を合唱しだしたり。とてもインドとは思えない。でも、たしかにここもインド。インド=ヒンズーという自分の中の思い込みが崩れていくのを感じました。心地よい崩壊感を味わってビーチに戻れば、アラビア海に沈む、昨日とまったく変わらない美しい夕陽が待っています。身も心も完全に崩壊です。
ゴアに来た目的がもうひとつあります。これもポルトガルと関連するのですが、タブッキの小説『インド夜想曲』の舞台を訪ねることです。ポルトガル旅行のときにはリスボンを舞台とする同じタブッキの『レクイエム』を携えていき、旅に刺激を与えてくれました。『インド夜想曲』もムンバイ(ボンベイ)とゴアが舞台となっているので、これを片手に彼の地を歩くのも楽しそうだと思ったのです。そしてムンバイとゴアでは実際にいくつかの舞台を訪れました。これについては帰国後に記事を書きます。
明日はホーリーです。地元の人に聞いたところ、やはりそこらじゅうで色粉を投げあうそうです。そして今日ビーチに行くと早くも前哨戦が! 危うく赤い粉を顔にぶつけられるところでした。明日は決死の覚悟で撮影に臨みたいと思います(笑
