ラダックはおいしい(1)

ホームステイの醍醐味のひとつは、なんといっても、その土地ならではの手料理を、作る過程を含めてじっくりと味わえること。
前回の記事で紹介したストックのホームステイ先「にゃむしゃんの館」では、朝、夕、場合によってはお昼と、手作りのラダックの味を存分に堪能させていただいた。

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料理の煮込みに使われるのは、伝統的な石鍋。重たいし、洗うのも大変だけど、ふつうのお鍋より味が格段に深くなるそうだ。また普段は便利なガスコンロを使うそうだけど、牛糞を燃料として使う昔ながらのかまども横にしっかりと鎮座している。
できあがったのは、スキウというラダック料理(スキウだと記憶しているのだけど、勘違いだったらご指摘ください → 「チュタギ」かも、という情報をさっそくTwitterでいただきました)。小麦粉を団子状にしたものを野菜と煮込んだもの。素朴だけど体があったまり、お腹もふくれる。これぞ田舎料理。

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そしてモモ。
あつあつをほくほくと。

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話は変わるけど、前回の記事「ストックでホームステイ」を投稿した数日後、NHK BS1の「ワールドWAVEトゥナイト」という番組でラダックに関するトピックが取り上げられた。ラダックの伝統的な街並みをどのように守っていくか、その取り組みを紹介するというもので、ちょうど前回の記事で古民家の現状と再生について触れたあとだったので偶然の関連性に驚き、強い興味を抱いて観た。そこでさらに驚いたのは、ぼくがホームステイした「にゃむしゃんの館」の室内のカットが映ったことだ。正確には、映ったような気がすること、だ。夏にNHKが古民家再生に関する取材に来たという話を「にゃむしゃんの館」の悦子さんから聞いていたので十分にありえることなのだけど、録画してなかったので確認できていない。もしこの番組を録画した人がいましたら、前回の記事に掲載した4枚目の写真と見比べてみてください。もしそっくりだったらどうか教えてください。

蒼穹のラダックへ II – ストックでホームステイ –

Stok, Ladakh

扉を開けると、まばゆい朝陽がまっすぐに部屋に射し込んでくる。目を細めながら表に出る。すがすがしい朝の山の空気に包まれる。何度も深呼吸する。おいしいからでもあるし、薄いからでもある。なんていってもここは標高4000メートル近くもあるのだから、浅い呼吸では息苦しくなる。

見上げれば雲ひとつない蒼穹が広がっている。視線を落とせば、刈り取りを終えた大地に、ポプラの緑が彩りを添えている。日本ならとっくに森林限界を超えている高所であることを、目の前の農村風景は一瞬忘れさせてくれる。一方、村を取り囲むようにそびえ立つ山々はさすがに木々もなく荒々しい様相を見せている。なかでも、雪を頂く名峰ストック・カングリ(標高6123m)の姿がひときわ印象的に目に映る。反対側に目を移すと、遠くにチョグラムサルやレーの町を望むことができる。

滞在させてもらった家は伝統的な三階建てになっている。一階は家畜小屋と倉庫、二階が住居、そしてぼくが泊まっている三階。ぼくの部屋は元々は仏間だったそうで、窓が他の部屋とは違って黒で縁取られている。

食事は二階の居間兼台所で。親類やご近所さんの集まりにも対応できるよう広々としていて、とても心地よい。昔ながらのかまどや、棚に並べられた伝統的な鍋や食器に興味をそそられる。初めて見るものばかりなのに懐かさを感じるのは、太い木の柱や天井から伝わってくるぬくもりのせいなのかもしれない。

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レーから十数キロ離れた山麓に広がる村、ストック。ラダックでのメインの滞在先となったのは、その静かで穏やかな村の、そのまた奥に位置する一軒の古民家だった。この家に住んでいるのは、日本人の池田悦子さんと地元ラダッキのワンボさんのご夫婦。悦子さんがラダックから発信しているブログの記事をぼくがたまたま読み、当ブログで紹介した(過去記事「ラダックからの祈り」)ことが、今回のホームステイへとつながった。

ラダックでホームステイできるところはほかにもあるけれど、悦子さんたちの家にステイしてよかったと感じたのは、捨て置かれた状態から修復された伝統的な古民家に滞在し、その構造や暮らしをこの目で見て体で感じることができたこと、さらに、現地に移り住んだ日本人という視点からラダックでの生活や苦労話、現在抱えている課題について詳しく聞けたことだ。

話がちょっとそれるけれど、先日、遅ればせながらドキュメンタリー映画「幸せの経済学」を観た。『ラダック 懐かしい未来』の著者として知られるヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんの監督作品である。この映画でヘレナさんは、欧米型の大量消費文化の波に突然さらされたのをきっかけとして、それまでの自給自足の満ち足りた暮らしを貧しいものとみなすようになり、自然や地域社会とのつながりから切り離されようとしているラダックの人たちを例にとり、グローバリゼーションの負の側面を訴え、その解決策としてその対極にあるローカリゼーション(地域化)の促進を提言している。

この提言には未来に対する多くの示唆が含まれており、ほぼ全面的に賛同できる。ただこれはやや誇張かなと感じたことがひとつあって、それはあたかもラダックがグローバリゼーションの波に飲み込まれてしまったと受け取られかねない描き方をしていた点だ。欧米の製品や文明が予想以上に浸透しているのをぼく自身も目の当たりにしたのは事実だし、それだけでも数十年前の閉ざされた自給自足の暮らしに比べれば劇的な変貌なのかもしれない。ただ、ぼくが見てきた限りでは、ラダックはまだまだ土地と地域とのつながりを濃密に維持しているし、自らのアイデンティティーを大切にしている。便利さを求めながらも大量消費文明に飲み込まれず、まだ色濃く残っている「持続可能な暮らし」をどのように守っていくか。それが現在のラダックの課題ではないだろうか。それはラダック自身の課題ではあるけれど、その大切さを気づかせることができるのは、課題の渦中に置かれているラダックではなく、先進国と呼ばれる国に住む私たちではないかと思う。

悦子さんから聞いたところによれば、現在ラダックでは家の新築ラッシュで、古い家を捨てて現代的な新しい家に移り住む動きが加速しているという。その原因はいくつかあるようだけど、グローバリゼーションの波に乗って押し寄せた大量消費、廃棄型の文化が一因であることに間違いはないだろう。こうした動きのなかで伝統的な家がどんどん捨て置かれていく。これをなんとかできないか、悦子さんはそう考えて、かつて実家が所有していた古民家の再生を決意したという。
大量生産&消費のサイクルから脱却し、真に持続可能な生活を構築していくことの大切さは、今のラダックの人たちより、ひょっとしたら、3.11大震災を経験した日本人のほうがより切実に理解できるのかもしれない。あの大震災を機に、地域と自然とのつながりを取り戻すことこそ持続可能な暮らしのカギであるという認識が広がり始め、そのヒントを提供する映画として「幸せの経済学」の自主上映が各地で行われていることがそれを示している。
ストックの古民家でのホームステイは、単純に楽しかっただけではなく、自然と地域とのつながりや、持続可能な暮らしについて考えるためのヒントも与えてくれたような気がしている。

そんな悦子さんとワンボさんの古民家は「にゃむしゃんの館」として旅行者を迎え入れてくれる。興味がある人は、悦子さんのブログを訪れてみてください。

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