
初めてラダックの大地を踏みしめ、蒼穹を見上げた翌日。この日はちょうど、チベット民族の精神的支柱であるダライラマ法王がこの地を訪れる予定になっていた。前月ラダック各地を襲った大洪水の犠牲者を供養することが目的のようであるが、突然決まった慰問らしく詳細はつかめていなかった。ぼくが旅立つ前にわかっていたのは、9月13日、つまりこの日であるが、ラダックの中心地であるレーの町にあるゴンパで特別法要を行うということだけだった。
初めてのラダックへの旅が、ダライラマ法王の訪問とちょうど重なる。ほんの数か月前に十数年ぶりにネパールを旅し、続いてラダックへの旅を決め、チベット仏教をもっと深く学んでみようと思い始めたぼくには、そのときからチベットにまつわるちょっとしたシンクロニシティが続いていたこともあって、これが単なる偶然とも思えずにいた。有名人に会えるというミーハー根性もあることは否めないけれど、とにかく一目でいいから彼の地でお姿を拝してみたい、そんな期待を抱きながら日本を旅立った。

ジョカンゴンパ(前日に撮影)
デリーからひとっ飛びでレーに降り立った昨日は、午後から高山病にやられてしまった。頭痛、寒気、吐き気に襲われ、ベッドの上でガタガタ身体を震わせながら、果たして明日ちゃんと動けるのだろうかと心まで不安に支配されていたのだが、宿の主人からもらった薬(たぶんダイアモックス)のおかげか、一夜明けた今朝は症状がかなり治まっていた。息苦しさは感じるけれどゆっくりであれば歩けそうだ。法王が訪れるというジョカンゴンパはここからすぐなので大丈夫だろう。朝食後、そのゴンパに足を運んでみることにした。
午前10時過ぎ。宿から10分ほど歩いてジョカンゴンパの前に来てみると、すでに大勢の人が法王の到着を待っていた。仏教徒らしき地元の人たちもいれば、法王を一目みようと待ちかねているぼくのような旅行者も目につく。境内へは洪水の犠牲者の近親者しか入れないということなので、その入口付近に場所を確保し、法王の到着を待つことにした。

入口に面する通りに沿ってできている人の山は、時間がたつにつれてますます大きくなっていく。すでに2時間以上待ち続けている。もうそろそろ来る頃だろう。高まる期待の空気が周囲に充満しつつあったそのとき、近くのモスクのミナレットから、アザーンの呼び声が勢いよく響きわたってきた。タイミングがいいのか悪いのか、これには一同苦笑い。でもこうやってチベット仏教とイスラムがここでは普通に共存しているのだ。そのことを肌で感じることができたワンシーンだった。

突然、向こうから車が数台やってくると、ゴンパの入口で停まった。後部ドアから姿を現したのは、間違いない、ダライラマ法王だ。おとなしく整列していた人の山がいっせいに前へと動き出そうとする。それを警備員が押しとどめる。押し、押され、もみくちゃ状態の中、必死に法王の姿を追いかける。すでにゴンパの門をくぐろうとするところだった。その距離、わずか3メートルほど。写真を数枚撮ったところで、法王の姿は門の向こうに消えていった。

ほんのつかの間の出来事だったが、ラダックという特別な地で、法王の姿を、しかも初めて間近で拝することができたのは、奇蹟といったら大げさすぎるけれど、偶然とはどうしても思えなかった、いや、思いたくはなかった。法王の訪問の目的が犠牲者の供養という悲しみを伴うものであったとしても、ついさっきの瞬間がまぎれもなく至福そのものであったことは、周囲の人たちの満足げで安らかな表情からも伝わってきた。
そしてこのときは知らなかったのだが、このジョカンゴンパで法要を済ませた法王は、その後レーの郊外にあるラムドンスクールで聴衆を前にスピーチを行った。そのときの模様を収めた写真がこのページに掲載されているのだけど、とにかく参集した聴衆の数が半端じゃない。圧倒されるのひとこと。この写真を見るにつけ、あのとき知っていれば絶対に聞きに行ったのになあ、でも高山病が完治していないあのときの体調では足を運ぶのは無理だったろうな……、などといまだに心残りが込みあげてくる。
ダライラマ法王は、今年の4月には日本も訪問した。東日本大震災の四十九日の法要を東京の護国寺で行うためという、このときも悲しみを癒すことが目的だった。この法要にはぼくも行くつもりでいたのだけど、用事ができたため残念ながらかなわなかった。今度お目にかかれるのはいつになるのだろうか。それはどこで実現するのだろうか。その地が日本であってもまったくかまわないのだけど、できれば、どこか遠い旅の地の道すがら、思いがけない形で実現するほうがいい。このラダックの旅のときのように。