『インド夜想曲』の舞台を追って(3) マリーンドライブ

「ボンベイに来る観光客は、どうかするとあまりお薦めできない場所に行ってしまいます。
お客さんみたいな紳士にもっとふさわしいホテルにお連れしますよ」
          『インド夜想曲』 アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳 白水Uブックス

初めてインドを訪れたのは、かれこれ12年も前のことになる。そのときの第一印象は、以前に書いたことがあるけれど(インドの旅)、最低最悪だった。

バンコクのカオサンで一泊し、ネパールのカトマンズへ。さらにヒンズー教の聖地バラナシへと飛んだ。アジア旅のデビュー戦であり、もちろん初インドだった。精神的にも肉体的にも何の免疫もできていないまま、「あのインド」に降り立ったのだから、デビューの結果は目に見えていた。早くも肉体は旅の通過儀礼、つまり激しい下痢と高熱のさなかにあった。すでにヘロヘロ状態のところへ、容赦なく精神的なパンチがやってきた。

バラナシの空港から乗り込んだタクシーの運ちゃんはやたらとしゃべりまくって、熱と下痢から来る目まいを増幅させてくれた。あげくの果てに、「もっといい宿がある」などと目指す宿とはまったく違う、高そうなホテルに連れていかれた。こんなところには泊まらない、目的の宿まで行けと言うと態度が豹変し「いやならここで降りろ」と強制的に降ろされた。小額紙幣を持ち合わせていなかったのもあちらにとっては思うつぼで、当然お釣りなど返してもらえず。仕方なしに見知らぬ通りに出ると、これまで見たこともない人、自転車、バイクの洪水にさらされた。ますます激しくなる目まい。ユルユルのお腹を押さえながら、何とかリキシャを捕まえ、必死に料金交渉して、ようやくガンジス川沿いの、知人が滞在しているゲストハウスにたどり着いた。倒れるように横になったベッドの上でうなされながら、「これがインドか」と、覚悟を決めたのだった。
 

「どうしてわれわれはマリーン・ドライブを走っているのか、と僕は運転手にたずねた。
ボンベイは初めてだったが、膝のうえに広げた地図を見ながら、僕はタクシーの進路を
ずっと辿っていた。」

『インド夜想曲』は、ムンバイ(旧称ボンベイ)のホテルに向かおうとしている主人公が、マリーンドライブという海岸通りに出たところで乗っているタクシーがあらぬ方向を走っていることに気がつき、途中で無理やり止めて降りるシーンから始まる。この冒頭の文章を初めて読んだとき、あのインド旅の、熱にうなされながらの運転手とのやりとりや、おぼろげに視界を横切っていった混沌の光景が目の前に映し出されてきて、小説の世界に一気に引きずり込まれた。

それから何年もたった昨年、南インドの旅に出て、ムンバイの空港に降り立った。深夜、タクシーに乗り込み、おしゃべりな運転手と会話を交わしながらも、小説の主人公と同じように、目はガイドブックの地図をチラチラと追っていた。突然、視界が開け、弧を描きながらどこまでも延びる海岸線が右手に飛び込んできた。どうやらここがマリーンドライブらしいと知ったとき、不安が込みあげてきた。まったく違う宿に連れて行かれるのではないだろうか……。時計は真夜中の1時過ぎを指していた。バラナシのときのように、じゃあここまでだと降ろされたらなすすべもないし、小説の主人公のように、それならここで降りてやる、と啖呵を切る勇気も、この闇の中では出そうになかった。

だが、不安は杞憂に終わり、タクシーは無事目当てのホテルの前で止まってくれた。空港での前払い制だったが、それ以上の料金を要求してくることもなかった。まずは、一安心。バラナシでの悪夢がようやく消え去ったような気になった。

翌日、ヴィクトリア駅を訪れた際にゴア行きのバスのチケットを手に入れ、続いていくつかの場所を訪れた後の夕暮れ時、マリーンドライブを歩いてみることにした。小説の冒頭で描かれているのもマリーンドライブの夕景だからだ。

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「われわれがその街に着いたころ、薄暮がちょうどあたりを包みはじめ、
一本の道を通り抜けるあいだに ―熱帯ではいつもそうだが― いきなり夜になった」

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夜が迫り、ゴア行きのバスの出発時間も迫ってきた。預けておいたバッグを受け取りに宿に戻る。チェックアウトはすませていたにもかかわらず、「汗をかいたでしょう。シャワーを浴びてから出発したらどうですか」と、シャワー室に案内してくれ、親切にタオルまで用意してくれた。気持ちよくホテルを後にすることができた。

南インドの旅を決めたときにはムンバイという街にさほどの興味も関心もなかったが、小説の舞台を巡る、というテーマが浮かんできたおかげで、思いのほか濃密な1日を過ごせた。明日はゴア。『インド夜想曲』の最終章の場所。そこでもいくつかの舞台を追いかけるつもりでいた。

『インド夜想曲』の舞台を追って(2) ヴィクトリア駅

「この肉体の中で、われわれはいったいなにをしているのですか」

僕のそばのベッドで横になる支度をしていた紳士が言った。

          『インド夜想曲』 アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳 白水Uブックス

ヨーロッパの他の主要都市と同様、ロンドンの鉄道も方面別にターミナルが分散している。なかでも、イギリス南部方面の列車が発着し、シャーロックホームズシリーズにも登場するヴィクトリア駅には思い出がある。イギリス生活時代にこの駅を何度も利用したからだ。

当時、ドーバー海峡沿いのとある田舎町に滞在していた。その方が英語の勉強に身が入る、というのが理由だったのだが、実際にその町に滞在してみると退屈で仕方なく、週末は頻繁にロンドンまで遊びに出かけることとあいなった。絵に描いたような田園地帯を走り、ガトウィック空港駅を通過し、赤茶色の地味な家並みが密集し始め、やがて、高い天井をいただいたコンコースにゆっくりと滑り込む。ヴィクトリア駅に降り立つたびに込みあげてきたあの高揚感は、今も忘れられない。

19世紀後半、そのロンドン・ヴィクトリア駅の開業後まもなく、大英帝国がその富を投じて建造し、同じくヴィクトリア女王の名を冠した駅が、ムンバイにある。ヴィクトリア・ターミナス駅(現チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅)がそれだ。このヴィクトリア駅の前に今こうして立っているのは、ゴア行きのチケットの予約ステータスを確認するという理由もさることながら、イギリス滞在時代を思い出させるその駅名に惹かれたからでもあった。そしてもちろん、ヴィクトリア駅が『インド夜想曲』の舞台となっているからでもあった。

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世界遺産に登録されているだけあって、ビクトリア駅の壮麗さは、間違いなくロンドンのそれをはるかにしのいでいる。駅から遠く離れないと全容を視野に収めることができない。このあきれるほどの威容を「植民地支配の悪しき象徴」と唾棄するのもひとつの見識ではあるが、こんな歴史ある建物が現役で利用されていること自体、ぼくには単純にうらやましくも思える。もっとも、そのせいでこの駅はタージマハルホテルと同様、2008年に起きたテロの悲劇の舞台となってしまった。

駅舎の構内に足を踏み入れる。とたんに、喧噪と混沌に包まれる。外観はイギリスだが、内部はまぎれもなくインドそのもので、やはりここはインドなのだ、こうでなくては、うんうん、などとよくわからない感想が込みあげてきた。

食堂でイドゥリを食べた後、鉄道休息室を探すことにした。別に休みたいからではなくて、冒頭に引用した『インド夜想曲』中の会話は、鉄道休息室で交わされたものだからだ。まずは、いちばん端のプラットフォームから調べていく。次はチケット売り場の周辺。見つからない。一体どこにあるのだろう。あちこち歩き回り、最後に残ったのが、一番奥の、業務用の荷物が雑然と積み上げられた、旅行者が近づきそうもない一画だけだった。こんな場所にあるわけないだろう。疑念を抱きながらも奥へと進んでいくと、それはあった。入口に「Waiting Room」とある。小説に出てくる休息室は、おそらく、ここだ。中をのぞいてみたかったが、チケットを所持している乗客しか入れないらしい。いつまでも入口でうろうろしていては怪しまれそうだったので、写真を素早く撮って立ち去ることにした。

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「マーヤーってなんだい」
「この世の仮の姿です」少年は答えた「でもそれは幻影に過ぎないのです。
大事なのは、アトマンだけです」
(中略)
それじゃ、アトマンってなんだ」
ぼくの無智に少年はにっこした。「The soul. 個人のたましいです」

ムンバイのヴィクトリア駅を発った『インド夜想曲』の主人公は、南インドの旅の途中、あなたはマーヤーに過ぎないと占い師の少年に指摘され、自分のアトマン(=アートマン、真我)を見つけようと、最終的にゴアにたどり着く。そのゴアに、ぼくは今夜向かうつもりでいたが、日本を発つ前に予約しておいたゴア行きの寝台がキャンセル待ちステータスなのが気がかりだった。出発当日になればキャンセルが出てチケットを取れるかもしれない。それを窓口で直接確かめるというのが、この駅にきた理由のひとつだった。

「キャンセル待ち。ステータスに変わりはありません。……いや、あなたの今の順番ではどうやっても乗れません」
いざとなったら窓口でごねれば何とかしてくるのでは、なんて考えていたのだが、甘すぎ
たようだ。

途方にくれていると、不意に、男に声をかけられた。列車のチケットが取れなかったのかい? それはそうだろう。本数が少ない上、ムンバイは大都市だからね。行き先は? ゴアかい。それならバスで行けばいい。出発は今夜? 大丈夫、空きはあるよ。オフィスに案内するからついてきな、すぐそこだから。

夜行列車という期待していた移動手段が泡と消えた今となっては、この男についていくほかなかった。この際なんでもいい。今夜、自分をゴアまで運んでくれるものがあるならば。

「これに入って旅をしているのではないでしょうか」僕は言った。
~(中略)~
「肉体のことです」僕がこたえた。「鞄みたいなものではないでしょうか。
われわれは自分で自分を運んでいるといった」

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