暦の上では立春が過ぎて10日あまりたったというのに、東京ではどんよりした底冷えの厳しい日が続いている。夜明け前がいちばん暗いように、冬の終わりがいちばん寒いとするなら、この冷雨と寒さは春の訪れの兆しなのかもしれない。あと少しの辛抱と言い聞かせ、南インドで買ったマサラ入りのチャイで身体を温めている。
中国では先週末から春節(旧正月)が始まり、新しい春を盛大に祝っているが、インドにも、春の訪れを祝うお祭りがある。一般にホーリーと呼ばれている。ヒンズーのお祭りである。日本では節分に豆をまくけれど、ホーリーでは目にも鮮やかな色水、色粉をぶっかけ合う。このときばかりはカーストのしばりから解放されて無礼講となるので、たまっていたうっぷん晴らしも手伝って、地域によって、特に北インドではきわめて興奮度、熱狂度の高いお祭りになる。とりわけ、旅行者が多く集まるバラナシなどでは外国人が格好のターゲットにされ、身に危険が及ぶことさえあるらしい。

市場で売っている鮮やかな色粉
ホーリーの日は年によって違う。昨年は、3月11日がホーリーだった。ちょうどその直前、ぼくはゴアに滞在していた。そして迷っていた。このままゴアでホーリーを迎えようか、あるいはもっと南の静かな場所に逃避しようかと。南インドのホーリーは北よりもずっと控えめだと聞いてはいたのだが、バラナシ同様、ゴアも旅行者の多い場所であるのが心配の種だった。一方、インド最大のお祭りに巡り会うなんてまたとないチャンスであり、見逃すのはあまりにも惜しいとも考えていた。また、ホーリーにあわせてゴアのビーチでは大がかりなレイブも開かれるかもしれない。期待が心配に勝って、結局、ホーリーの日までゴアに滞在することに決めた。
念のため、ホーリーの前日、滞在していた宿をきりもりしている、親切で愛嬌のある女性に聞いてみることにした。明日ってホーリーだよね? 「そう、ホーリーよ。あちこちで色粉かけられるわよ~。気をつけなさい。危ないから、カメラと財布は部屋に置いていくようにね」。ぴしゃりと注意されてしまった、うーむ。せっかくの彼女のアドバイスだけど、見るだけじゃなく、絶対に写真を撮りたい。が、顔だけならともかく、カメラが色粉・色水まみれになったら悲劇だ……。まあでも、カメラ4台体制で旅しているのもこんなときのためなのだし、1台ダメになっても、いい写真が撮れれば本望だ。カメラを持って突撃する覚悟を決めたのであった。

この程度の色粉なら可愛いのだけど
そしてホーリー当日、朝食を済ませると、MZ-3とGX100をバッグにしのばせて、色粉だらけになっても大丈夫な格好でアンジュナビーチへと出撃。おそるおそるビーチに着くと、いきなり現地の男子数人に囲まれる。こればやばい。と思った瞬間、男の子のひとりが進み出てこう言った。
「ドネーションをいくらかちょうだい。そうしたらこれを顔につけてあげるから」
と、色粉がついた指をぼくに向かって差し出した。
てっきり容赦なく色粉をぶつけられると覚悟していたので、その言葉は意外だった。しかしドネーションって一体なんなのだろう。寄付という名目での単なるお小遣い稼ぎのような気もするけど。まあ、ホーリーなのだから細かい詮索はなしにしよう。いくらかのドネーションをあげて、額にちょっとだけ色粉をつけてもらう。

PENTAX MZ-3, FA43mm Limited, FUJI RVP100
最前線は突破した。それほど激しいホーリーじゃなさそうだ。とはいえ、油断は禁物。戦場ではその一瞬の気のゆるみが命取りになるのである。
敵陣深く、ビーチの中心へと進んでいくにつれ、顔中サイケな色粉なだらけの犠牲者を多数目撃。とはいっても、やられたというより、喜んでいるような、あっけらかんとした表情。欧米人ってこの手のお祭りが大好きだから、集中砲火を浴びてもまったくひるまない。タフだ、奴らは。

そんな陽気な欧米人を何人も眺めているうちに、いつの間にかぼくも無防備状態になっていた。ビーチを外れた小道を歩いていると、突然、後ろから何者かの手がぼくの顔に。むがっ。テレビ番組で、突然パイを顔になすりつけられるシーンがあるけれど、まさにあんな衝撃。やられた~、無念。
鏡がないので顔の状態はわからないけれど、色粉だらけにちがいない。肩から腕にかけても、赤や青のサイケ調に。え! ってことは、もしかして……!? 手に持っていたカメラにおそるおそる目をやると、あー、ぼくのペンタちゃんが~~。

なんと、色粉がMZ-3に降りかかっているではないか。いや、でもこのサイケ色ペンタもなかなかいいではないか。それにカメラに傷の二つや三つあってこそ、本物の戦場カメラマンというものだ。なんてうそぶいていたのも一瞬だけで、もちろん急いで拭き取ったのであった。ホーリーの前は、1台ダメになっても、なんて威勢のいいことを言っていたけど、長年の相棒がこうなってしまうとあわててしまう。幸いカメラの動作に影響はなさそうだが、とりあえず一時退却。体制を整え直して再突撃を狙う。