家並みと人の長く濃い影が路地をすっかり覆うようになった午後6時半。
チャイナタウン散策を切り上げ、オランダ広場のキリスト教会の前を通り過ぎ、
セントポール教会が立つ丘へと急ぐ。
石段をひとつ上るたびに、視界が少しずつ開けていく。
街並みが下方に遠ざかり、青い空の面積が広がり、やがて海が姿を見せ始める。
そして、海を輝かす夕陽が現れる。
ポルトガル居住区にとどまり、あの古い桟橋の上から夕陽を眺めるのも魅力的に思えたけれど、
マラッカの夕陽はこの丘から眺めようと決めていた。
頂上にたどり着き、教会のファザードと向かい合い、内部に入る。
ふきさらしのがらんとした雰囲気は午前中に訪れたときと同じだが、受ける印象は明らかに違う。
光の射す角度の違いのせいだ。
空高く強烈な輝きを放っていた太陽が、いまは赤みを深めつつマラッカ海峡に沈みゆこうとしている。
往時の教会ならば、海の上の夕陽がファザードの窓のステンドグラスを鮮やかに照らし出し、
薄暗いこの堂内に荘厳な光が射し込んでいたのだろう。
いまは、その同じ夕陽を、ガラスも装飾もない窓のひとつがそのまま静かに映し出している。
教会を出る。
敷地では、少なくない人が西側の柵に沿って並び、太陽が沈むのを待っている。
その列に加わる。
夕陽はいったんは雲に隠れたものの、最後の最後に真っ赤なまん丸の姿を一瞬だけかいま見せて、
水平線の彼方へと静かに消えていった。
これで思い残すことはない、明日はバトゥ・パハに行こう。
丘を下っていると、突然、大きな呼び声がどこか遠くから響いてきて、足を止めた。
聞き覚えのある節回しと文句。アザーンだった。
高揚感を伴うざわめきが心を包み込む。
アザーンを耳にするときほど、自分が異境を旅していると実感する瞬間はあまりない。
ポルトガル居住区の桟橋ではポルトガルへと想いが飛び、いまは懐かしきアザーンの調べに
心がアラビアへと飛んでいった。しかし、ここはヨーロッパでもアラビアでも、マグレブでもない。
自分はいま、まぎれもなく東南アジアを旅している。さまざまな民族や文化、宗教が混在する
マレー半島を。
不思議な異境感覚に包まれながら、丘の中腹に立ちつくしていた。
見下ろす街並みに、灯がともり始めていた。