マレー半島を北上せよ(5) マラッカ旧市街へ

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セントポール教会がたたずむ小丘を下りきると、オランダ広場に出た。
マラッカのシンボルともいうべき赤いキリスト教会とスタダイスが目に飛び込んでくる。
その前を横切ると、マラッカ川の静かな流れ。その向こうに広がるのが、旧市街だ。

マラッカの旧市街は、今回の旅で最も散策を楽しみにしていた場所だった。とはいっても、過度な期待は抱いてはいなかった。素朴な街並みの一画にでも迷い込み、懐かしい雰囲気の一片でも味わえれば訪れた甲斐があるだろう。そんな気持ちで、橋を渡る。

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古き良き文化や生活が連綿と息づく街……。
それは今や、世界のどこを訪れても幻想の中にしか存在しないものなのかもしれない。おとぎ話の街ともたとえられるイエメンのサナアでさえ、現代文明がどんどん入り込んでいるのを目の当たりにした。

そこに暮らす側だけではなく、そこを訪れる側も変わりつつある。ネットとケータイとデジカメ、この3つが、旅行者のスタイルと意識を大きく変えている。日本でいつも使っている携帯が、サナアの安宿からでも使える時代なのだ。そんなもの必要ない、と拒否できない自分。より便利に、より手軽に、よりクリアに、より近くに、より早く。

旅とは現実と向かい合うもの、同時に、蜃気楼を追いかけるようなもの。遠くに見えるあのオアシスから水をひとすくいでもいいから飲み干してみたい。そんな想いから、憧れの彼の地を訪れる。徒労に終わることも多いが、本当の泉にたどりつくことだってある。だからこそ旅が止められないのだろう。が、0と1に支配され、あらゆるものが明快にされ、接近し、いともたやすくつながってしまう世界からは、数少ないオアシスも干上がり、はかない蜃気楼までもが霧散してしまうのではないか。そのときが来ても、旅をあきらめないでいられるのだろうか。それはわからない。今はこの目の前に広がる街から、何かと出会い、感じ取り、心に焼き付けていくしかない。

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RICOH GR21(3枚とも)

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