マレー半島を北上せよ(2) マレーシアへ

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(「ラッフルズ」の続編に当たるマレー半島旅行記の第二弾です)

ラッフルズホテルの外観を一通り眺め終えると、MRTに乗ってゲイラン地区の宿に戻った。シンガポールの中でもいわくある地区で、ピンクのネオン輝く艶めかしいホテルが林立していたりするのだけど、ぼくが泊まったのはパッカー向けのちゃんとした宿。ドミトリーに泊まったのは何年ぶりだろうか。とにかく、物価の高いシンガポールではできるだけ安く抑え、すぐにマレーシアに向かいたかった。

道に迷いながらも、マレーシア行きのバスが出るターミナルにたどり着いてみると、あいにく午後2時までバスがないという。それでは、と、窓口に荷物を預け、近くのアラブ街をぶらついてみる。ほんの20分くらいだったが、パステル調のカラフルな家並みを楽しむことができた。が、シンガポール散策はこれでおしまい。二カ所だけだったけれど、まあいいだろう。ターミナルに戻ると、午後2時発のマラッカ行きの長距離バスに乗り込む。眠っている間に国境に到着。イミグレを通過し、再びバスに乗り込む。よく整備された高速道路を快適に走る。「マレー半島を北上せよ」の旅が始まった。

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マレー半島を訪れるのは初めてだった。これまでなぜか、この地とは縁がなかった。一度は訪れたい。そう思いながらも、いつも後回しにしていた。なぜだろう。それはたぶん、ぼくがマレー半島を、東南アジアの中では「そこそこ」面白そうではあるが、「決定打に欠ける」地域と見なしていたからなのだと思う。たとえば都市でいうならば、急速に近代化が進む首都クアラルンプールはぼくにはどっちつかずの存在に見えてしまう。わざわざ行く価値はあるのだろうか。「近代化」を目撃するならバンコクやシンガポールで十分だろうし、ノスタルジーと活気を求めるならハノイやホーチミンのほうが面白いだろう、と。観光資源の面はどうか。海に囲まれているのでビーチは多いが、ピーピー島やプーケット、バリなど、周囲の国々のビーチと比べて際だった特徴や美しさを誇るビーチは、ぼくの知る限りない。カンボジアのアンコールワットやミャンマーのバガンのような、一度は絶対に訪れたいという遺跡があるわけでもない。かといって、ラオスのように何もないところが魅力的で癒される国かと言えばそうではない。熱帯雨林を探索するエコツアーはマレーならではと言えそうだけど、あいにく自然観察系の旅には興味がない。唯一、マレー鉄道にゆらり揺られて旅してみたいという漠然とした憧れは昔から抱いていたが、それも「今すぐに」という強烈な動機とはなり得なかった。

そこそこ発展していて、そこそこ穏やか。そこそこよさげな町もありそうだし、ビーチもそこそこある。が、その「そこそこさ」ゆえに、ここにはすぐにでも行きたい、と思い焦がれる「彼の地」が具体的に思い浮かばず、その結果、まあそのうち行けばいいか、と訪れるのを後回しにしてしまっていた。「決定打に欠ける」とは、つまりそういう意味だ。
そんなぼくがマレーシアの旅を決めたのも、だから「消去法」の所産だった。

この冬、思いがけず10日ほどの休みが決まったとき、真っ先に頭に浮かんだ「彼の地」は、実はキューバだった。カストロが健在のうちに訪れたい、というのが第一の理由。が、いかんせんチケット(+サーチャージ)が高すぎた。泣く泣く断念。次に行きたかったのはメキシコ。チケット代はそれほどでもなかったが、なにしろ広大で見所が多い国。どうせ行くなら2週間は欲しいよなあと思い、次の機会に譲ることに。さらにエジプト、そしてスリランカが候補に挙がったのだが、休みにぴったりのチケットが取れず、これも断念。こうなったら、手持ちのマイルでさっと行ける東南アジアにしよう。どうせなら、まだ行ったことのない国がいい。そう考えて休みに入る数日前にようやく取れたのが、シンガポールIN、バンコクOUTのノースウェスト便だった。

そんな感じで、偶然の所為で決まった感のある行き先ではあったが、いざ旅立ちが決まり、「マレー半島を北上せよ」というタイトルを掲げてみると、なかなかサマになるじゃん、カッコイイじゃん、と、いつものごとく悦に浸る余裕もでき、期待も少しずつ膨らみ始めた。たとえそれが沢木耕太郎の『一号線を北上せよ』をもじったベタなタイトルだとしても。そういえば、マレー半島は『深夜特急』の舞台となった地でもあったっけ。じゃあそのマレー半島編をバッグにしのばせていくか、なとどこれまたベタなことを考え、実際に携えてきた。

が、ベタなだけではなく、出発間際になって、本当に偶然に決まった旅なのだろうかと思わざるを得ない、ここ数年の旅から続くテーマの連鎖もいくつか浮かび上がってきて、がぜんマレーの旅への期待が高まることとなった。たとえば、これから訪れる古都マラッカ。かつてポルトガルの支配下にあったことは漠然と認識していたものの、ポルトガル村という移住者の地域まで残っていることを知ったのはほんの数日前だった。4年前と3年前に続けて訪れたマカオ、そしてその翌年に訪れたポルトガルで感じた「哀愁の空気」を、ポルトガルの面影を残すその地でまた感じ取れるかもしれない。さらに、マレーシアを旅した詩人、金子光晴と、昨年旅したイエメンにゆかりのある詩人、アルチュール・ランボーの間に多くの接点があることもわかり、前回のイエメンと今回のマレーシアの旅もひとつのテーマでつながろうとしていた。イエメンのアデンではランボーが拠点にしていた旧商館に宿泊し、マレーシアでは、光晴が仮の宿にしていた日本人倶楽部があるバトゥパハを訪れるつもりでいたからだ(過去記事「光晴とランボー、マレーとイエメン」参照)。さらに言うならば、イスラムを国教と定めるマレーシアを旅することで、ヨルダン&シリアの旅以来守っている(というと大げさだけど)、「年に一度はイスラム独特の雰囲気に浸る」という目標も果たすことができる。そのうえ、中華、インドとのミックスカルチャーも体験できそうだ。

偶然に導かれて決まった、「決定打に欠ける国」への旅。が、ひょっとしてそれは偶然ではなく必然なのではないか。凡打が決定打に変わる瞬間に、この先巡り会うのではないか。あるいは、やっぱり凡打や三振続きの旅になるのか。

食堂の前でバスは停車した。ここでしばしお昼休みらしい。
メニューを見る。なにはともあれ、海南鶏飯を注文する。
美味しい。安い。まったくもう。これなら毎日でも食べてしまいそうではないか。旅先としてマレーを選んだのは、やっぱり正解だったな。出発前の経緯など忘れて、そう思い始めている。現金なものだ。

食堂の外に出てみる。道の左右に広がる森林の緑が、ことのほか深く、鮮やかにこの目に映る。
そして、頭上から降り注ぐ陽射し。このまばゆさと強さはどうだろう。
こればっかりは「そこそこ」どころではない。
おとといは福島の大内宿で冷たい雪と空気に身を切られる思いをしていたというのに、今は赤道に近い南国の容赦ない陽光にさらされ、肌に痛みすら感じている。
このギャップとショック。この感覚を頭ではなく肌で味わうということ。拒絶しながらも、許容し、受容し、溶け込んでいくこと。そのプロセスこそが旅なのだ。

バスに乗り込む。再び、快適なスピードで道路を飛ばし始める。
数時間後には、マラッカに到着する。
噂に聞く美しい夕日に、間に合うだろうか。

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