アッシジの思い出

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「イタリアへ:須賀敦子 静かなる魂の旅」の第二弾として11月18日にBS朝日で放映された「アッシジのほとりに」を観た。第一弾を踏襲し、細切れなカットや場面転換を意識的に排して、町の表情や光や色を追いかけることに徹した映像は、心に深く語りかけてくるような静けさと美しさを帯びていて、安心して身を預けることができた。こういう旅番組はいいね。BSだからできるのかもしれない。

須賀敦子という作家・翻訳家を知ったのは、タブッキの『インド夜想曲』を読んでからだった。以来、『トリエステの坂道』など何冊か著書を読み、知性と品性から生み出される透徹した、それでいて情感豊かな文章に魅了されていった。とはいえまだ読破数は足らず、著者自身の人生についてはさほど知識がなかったので、著者にとってアッシジが特別な場所だったことを、この番組で初めて知ることとなった。

「数多い聖者のなかで、フランチェスコほど、生地そのものが人々に愛された例はすくない。彼を生んだウンブリア地方は、ルネッサンス発祥の地フィレンツェのあるトスカーナ地方とはすぐの隣あわせというのに、山が多く、どこか近づきにくさを感じさせる景色そのものに、人間を超えたなにかを感じさせるものがあるのかもしれない。スパージオ山を背にしたアッシジの美しい丘と平野は、太陽に、月に、そして死にむかってまでも、兄よ妹よと呼びかけたフランチェスコをつねに想起させてくれる」 
                                            『本に読まれて』中公文庫

ぼくにとっても、フランチェスコの生地アッシジは昔から訪れてみたかった「彼の地」だった。キリスト教徒でもないぼくがこの場所に惹かれた源は、たぶん、上の引用にある「アッシジの美しい丘と平野」に対する漠然とした憧憬だったのだと思う。

10年以上も前のことだが、その夢がかなってアッシジを訪れる機会に恵まれた。1泊だけのごく短い滞在だったが、特別な印象が心に刻み込まれた。

ウンブリアの平原を包み込む美しい夕焼けを見た翌朝の日曜日、アッシジの町を抱いている丘を下って、サンダミアーノ教会を訪れた。ちょうどミサか何かの途中で、内部には入れなかった。外でしばらく待つことにした。優しげな説教や清らかな歌声が、ウンブリアの朝の透明な空気を通してぼくの耳へと伝わってきた。結局中に入ることができぬまま町へと引き返したのだが、不思議と爽やかな気分に満たされていた。その午後、アッシジを後にした。番組の中で、そのサンダミアーノ教会の美しい映像を観たとき、ウンブリアのたおやかな平原と、あかね色の空に浮かぶサンフランチェスコ教会と、あのときの聖歌の調べが蘇り、懐かしさがこみ上げてきた。

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別の著者になるが、アッシジにまつわる印象深い本のひとつに、妹尾河童の『河童が覗いたヨーロッパ』がある。ヨーロッパの宿や列車、町並みなどをスケッチで綴った楽しい本である。今となっては旅本の古典といってもいいのかもしれない。なぜこの一冊が印象深いかというと、この本にはアッシジの街角のスケッチがコメント付きで収められていて、そのスケッチと同じと思われる街角を、ぼくも写真に収めていたからだ(下の写真)。単なる偶然なのか、このページが頭の片隅にあったから撮ったのか、今となっては記憶があやふやなのだけど。

石積みの壁がピンク色を帯びているように見える。これはアッシジの建物の多くが近くの山から切り出された桃色の石で造られているからである。そのため夕方になると町全体が夕日に映えて桃色に包まれ、日没にかけて刻々と色を変えていく。その様子を描いた須賀敦子の文章が番組中でも朗読されていた。とても印象的だった。

『河童が覗いたヨーロッパ』初版が刊行されたのが1976年。ぼくが写真を撮ったのはおよそ20年後。路地の表情にさしたる違いは見られないところに石の文化の堅牢さを感じた。が、その後1998年に、アッシジは直下型の地震に見舞われ、石造りの建物の多くが崩壊してしまった。けれども、地道な復旧作業によってほとんどが元通り修復されたと聞く。この路地もきっと元の姿に戻っているのだろう。いつか訪ねて、確かめてみたい。桃色に染まる町並みを眺め、そして今度こそはサンダミアーノ教会の中に入ってみたいと思う。

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6件のコメント

  1. あづま川
    2007年11月22日

    >眞紀さん
    須賀敦子さんの文章はとても勉強になります。
    全集も揃えようと思ってます。
    『河童が覗いたヨーロッパ』では、国ごとの車掌の特徴の描写がなんといっても白眉ですね。EU統合前の良き時代。国境を越えると、貨幣も変わり、車掌の特徴も変わり・・・あのころ旅できて良かったと思います。

    返信
  2. 三谷眞紀
    2007年11月21日

    とてもいいですねえ。
    なにがいいんでしょう……表現しにくいですが……須賀敦子さんも好きだし、『河童が覗いたヨーロッパ』とてもなつかしく拝見しました。
    彼の本はかなり読みましたから。
    そしてやっぱり、ちょっとだけリリカルな、写真に添えられた文章がとても心地よいです。
    ヨーロッパへ行きたいという気持ちを駆り立てますよ。

    返信
  3. あづま川
    2007年11月21日

    >良速さん
    はじめまして。
    soraさんつながりですね。ご訪問&コメントありがとうございます。
    良速さんの写真を拝見しましたが、まさしく同じ路地ですね!
    歴史ある町だからよさげな路地なんて至る所にあるはずなのに、なぜかこの坂道で立ち止まり、写真を撮ったりスケッチをしたりしたというのは不思議な偶然です。しかも、ぼくのブログを初めて訪れ、掲載したてのこの記事をタイミングよく読んでくださったとは。こういう偶然の重なりってあるものなのですね・・・。
    ツアーを離れて町を歩いたということですが、そんなスタイルにもなんだか親しみを
    覚えます(笑 妹尾氏を含め、感性が似ているのかも。
    夕方から夜にかけてのアッシジからの眺めは最高でした。
    機会があったら今度はゆっくり訪れてみたいです。
    今後ともよろしくお願いします。

    返信
  4. あづま川
    2007年11月21日

    >ヒョウちゃん
    ペルージャから足を延ばしたのですね。
    ぼくはこの旅ではローマ→アッシジ→フィレンツェと抜けました。
    アッシジ滞在2日目がちょうど日曜日で、訪れたサンダミアーノ教会もきっと日曜ミサの最中だったのでしょうね。
    今考えても、なぜ1泊しかせず厳かな日曜日に発ってしまったのか・・・もったいないことをしました。
    次回はアッシジを基点にペルージャや近郊の小さい村などを訪ねてみたいです。
    『河童が覗いた……』からは、ぼくもたくさんのことを学びました。これを読まずしてヨーロッパを語るなかれ、ですよね。

    返信
  5. 良速
    2007年11月21日

    初めまして、soraさんのブログリンクから今日、初めて伺いました。
    するとアッシジの写真が・・・・しかも偶然とはあるものですねぇ。
    僕も同じ場所の写真を撮っているのです。
    '96年にツアーの寄り道で訪れた時でした。
    サンフランチェスコの内部も見学出来たのですが、
    僕は独りグループから離れて街中で写真を撮っていました。
    その時に撮った一枚がこの場所でした。
    妹尾さんの著書は存じ上げてましたが、手に取ったことはありません。
    スケッチも今回初めて拝見して唸ってしまいました。
    この場所は何か人を惹きつけるものがあるのかも知れませんね。
    今にしてみれば、地震前のフレスコ画を見る貴重な機会を逸した訳ですが、
    この時歩き回って撮った数カットは、
    教会見学をしていたら得られなかった思い出の風景です。
    個人旅行でなく、ツアーだったので時間の制約がありました。
    一泊して夜の街中も散策してみたかったです。
    いっそツアーからはぐれて残ってしまおうかと考えたのを憶えています。笑

    返信
  6. ヒョウちゃん
    2007年11月20日

    初めてイタリアを訪れたのは、1998年、ツアーでした。
    その時はアッシジを訪れませんでしたが、ペルージャの眺めのいい丘でアッシジの話を聞きました。
    「あっちがアッシジなんですが、地震で」という話。
    で、3年後ひとりで出かけていくわけですが、地震があったとは思えないほど立ち直っていましたね。
    この時は、ペルージャの何とも暑い宿に3泊していたのですが、日帰りで出かけたのです。
    サンフランチェスコ教会、クリスチャンでないものの、ミサの場面や聖体をもらう場面などに出くわし、何ともうらやましさを感じましたね。
    また行ってみたいところのひとつです。今度は泊まりありで。
    「河童が覗いたヨーロッパ」は自分にとっては未だにバイブルみたいなものです。
    これで、ヨーロッパの都市や建築、その他諸々をつかんだといっていいかも知れません。

    返信

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