『インド夜想曲』の舞台を追って(1) タージマハルホテル

「窓からはオマーン海が見わたせた。もうほとんど朝で、砂浜はバラ色に染まり、タージ・マハルの下では、生気に溢れたインドの一日が始まっていた」

   『インド夜想曲』 アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳 白水Uブックス

インド西海岸をゆるゆると南下する旅。そのゲートウェイタウンとなったのは、ムンバイだった。旧称ボンベイ。インド随一の商業都市であり、ボリウッド(ボンベイ+ハリウッド)という名が語るようにインド映画産業の総本山でもある。が、実のところ、ムンバイになんか行きたくはなかった。なにしろ、インドでいちばん物価が高い。昨年発生したテロも、まだ記憶に新しかった。できれば直接ゴアに入りたかったのだけど、予算に見合う便がなく、仕方なく、といった感じで一番安いエアインディアのムンバイ便を予約したのだった。

タブッキの小説『インド夜想曲』の主人公の足跡をたどる、というテーマが浮かんできたのは、それからしばらくたってからのことで、偶然に過ぎなかった。むろん、タブッキのこの小説は過去にレビューを書いているくらい好きだし、別のタブッキ作品を携えてポルトガルを旅したことだってある。とはいえ、ムンバイやゴアを舞台とする『インド夜想曲』から南インドの旅とルートが導き出されたわけでは決してない。ちょうど昨年、マレー半島を北上する旅が思わぬ形で決まった後で、『マレー蘭印紀行』という著作を思い出し、「金子光晴の足跡をたどる」というテーマが浮かんできたのとまったく同じパターンである。

しかし、偶然浮かんできたこの二つのテーマがいつしかお互いに絡み合い、二つの旅を結び付けていった。シンガポールとムンバイ、ラッフルズとタージマハル、マラッカとゴア。さらにそのリンクは、イエメンのアデン、マカオ、そしてポルトガルと、過去の旅をさかのぼりながらつながっていく……。不思議なもので、すべての旅はどこかで必ずつながっているものだ。

                   *      *      *

ムンバイの空港に降り立ったのは、深夜0時をとっくに回った真夜中だった。ドキドキしながらタクシーに乗り込んだ。車窓をよぎる見知らぬ町並み。不気味な静けさ。高まる不安。が、ドライバーとのトラブルも特になく目当ての安ホテルにたどり着き、無事チェックイン。すぐにベッドに倒れ込んだ。翌朝、窓ひとつない部屋を出ると、寝ぼけ眼のまま表通りへと踏み出した。とたんに、目もくらむ強烈な陽光が全身に降り注ぎ、通りの喧噪が全身を包み込んだ。あー、と思った。この熱、この光。この音。昨日まで東京で真冬の寒さに身震いしていたのがウソのようだ。この落差は、いったい何なのだろう。昨年のマレー半島北上旅を思い出した。

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シンガポールからバンコクへと北上した昨年の旅でも、同じように真冬の東京を発ち、同じく深夜0時過ぎにシンガポール空港に降り立って、同じくタクシーで安宿にたどり着いた。そして翌朝、宿を出たとたん、赤道直下の陽光にいきなりさらされ、まさしく今と同じ感覚が込みあげてきたのだった。順応できないゆえの衝撃、驚き、そして高揚。そんな新鮮な感覚のまま最初に訪れたのが、ラッフルズホテルだった。抜けるような青空の下、まばゆく輝くその白壁と対峙したとき、マレー半島北上旅が本当に始まったのだ、という実感が湧いてきた。そのことを思い出したとき、ムンバイで最初に訪ねる場所が決まった。

「タージ・マハルに行けばいい」彼は言った。「アジアでいちばん有名なホテルです」

「わるくないですね」と僕は返事した。

タージマハルホテル。1903年の開業以来、数々の著名人をもてなしてきた。少なくとも歴史や格式という点では、ほぼ同時期に完成したラッフルズと双璧をなすアジア随一の高級ホテルである。
そして、ラッフルズが光晴の著書に登場するように、タージマハルホテルは『インド夜想曲』の冒頭部分の重要な舞台となっている。

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黄色と黒のツートーンカラーのオンボロタクシーを降りる。正面には、凱旋門のできそこないのような建造物。何かと思ったら、有名なインド門だった。その向こうにはアラビア海が広がっている。きれいとは言えない。エレファンタ島も見えない。なんだかがっかりして、ふと右を振り向くと、そのホテルはそこにあった。
重厚なたたずまい。

無数の鳥が舞う。

真っ白なラッフルズとは対照的な渋い茶色。南国的なまばゆさはないけれど、風格はこちらが上だ。

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昨年11月に発生したテロは、このホテルも襲った。旧館には銃声がこだまし、火災が発生し、多数の死者が出た。それから数カ月、その外観には明白な傷跡のようなものは見受けられない。が、近づいてみると、ルイヴィトンなどのブランドショップが入っている1階部分は板で囲われている。痛々しさを感じた。

旧館の隣にそびえる新館のレストランは営業を再開していると聞いていた。宿泊は無理だったが、お茶か食事くらいは楽しんでみよう。新館に向かった。が、入口の前で厳重なセキュリティチェックをしている。まずは中の様子をうかがってから、なんて思っていたのだが、ここからは館内の模様はまったくわからない。おまけに、チェックを通っているのはリッチなセレブ風ばかり。こんな粗末な服装で果たして通してくれるのだろうか。しばし躊躇し、結局入るのを止めることにした。

ラッフルズでは付設のバーでシンガポールスリングを飲むことができなかったし、タージマハルでも館内に入ることができなかった。どちらのホテルにもまだ呼ばれていない、招かれていないということなのだろう。あるいは、招かれているんだけどこちらにその準備ができていないということか。まあどちらでもいい。とりあえず目的は達成した。ラッフルズから北上旅がスタートしたように、ここタージマハルから、インド南下旅はスタートしたのだ。本番はこれからだ。

「タージの前から出るエレファンタ島行きの船は七時に出帆する。その船には、写真機を首にかけた日本人の老夫婦といっしょに、僕も乗っていた」

エレファンタ島には遺跡があるみたいだが、格別惹かれもしないし、この島の記述はこれだけで終わっている。船に乗るのは止めて、別の舞台へと向かうことにした。が、その前に食事だ。ガイドブックのページをめくる。ひとつのカフェの名が目にとまった。

4件のコメント

  1. あづま川
    2009年5月7日

    >vinvivaさん
    数多くの民族、文化、宗教が渦巻く国、地域について、日本人が画面を通して
    理解するのはなかなか難しいですよね。
    そこに実際に行くことでわかることも少しはあって、それも旅なのかな、なんて思いました。

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  2. あづま川
    2009年5月7日

    >眞紀さん
    この「舞台を追う」シリーズはしばらくモノクロスクエアで行きたいと思います。
    『インド夜想曲』ってぼくの中ではとってもモノクロワールドなのです。
    眞紀さんの記事読みました。今はもっと高いんでしょうねー。
    ぼくは、たぶん一生無理でしょうね・・・でもいつかは。

    返信
  3. vinviva
    2009年5月7日

    >おはようございます。
    世界中が平和であって欲しいと願う。
    まだまだ、人類は発展途上って事ですかね、悲しい。
    しかし、悲観ばかりするものではない。
    こんな立派な建造物を歴史とともに残しているんですからね。
    そして、人は時(歴史)を旅する。ロマンを求めて。
    好いですね~。旅は!

    返信
  4. 三谷眞紀
    2009年5月6日

    なんか、コメマメ(マメなコメント)になってしまってすみませんです。
    モノクロスクエアなシバリで撮られた勇姿。いいですね。
    テロであの美しい建物が炎上しているところを見て、呆然としました。
    昔、無理して宿泊しました……当時、一泊4万円!
    おひとりさまで!やーね本当に。
    「インド夜想曲」を読んだときに、須賀敦子という人はなんてすごいんだと思った覚えがあります。
    あづま川さんのブログはいろいろな記憶を呼び起こしてくれる。

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